読んだ本をすぐ忘れないために書くブログ

本当にすぐ忘れます、なんでだろう

『ワシントン・スクエア』ヘンリー・ジェイムズ / "Washington Square" by Henry James (1880)

おせっかいおばさんが活きる作品が好きだ。おばさんの押しの強さはいつの時代も不滅だ。

かつて結婚だけが女性の幸せだとされてきた時代は長く、結婚適齢期を迎えた男女を結び付けようと躍起になるおばさんは、この時代の作品には多く登場する。だいたい自分の姪御や従妹などの付添人として社交界に繰り出し、良い男性との仲を取り持つことが生きがいだ。もしかわいい姪がつまらない男に現を抜かしているなら、どうにか説得して諦めさせないといけない。何十年も前に結婚も経験して、女性としての酸いも甘いも経験してきたおばさんは、ひと時の感情で人生を棒に振るべきではないと必死に訴えるのだ。我こそはと恋のキューピッドになりたがるものの、空回りしがちなところが多く、ある意味滑稽で、コミカルな人物として描かれることが多い。この手のおばさんが登場すると「おもしろくなるな」と思ってしまう。

例えば、オースティンの『説得』では、主人公アンの母親がわりであるラッセル夫人、フォースターの『眺めのいい部屋』では、主人公ルーシーに付き添う年の離れた従姉のシャーロット、など。結婚小説としても有名なオースティンの『高慢と偏見』では、主人公の母親のベネット夫人が、娘たちの結婚に躍起になりすぎて、逆に恋愛の邪魔をしてしまう様子も描かれているのが有名だ。

さて、前置きが長くなりすぎたが、今回読んだのはアメリカ生まれのイギリスの作家ヘンリー・ジェイムズの『ワシントン・スクエア』。この記事の執筆時点では、すでに取り扱いが終了しており、新品で購入するのが難しい作品のようだ。運よく、中古であるが読み跡もない、新品同然の綺麗な版を見つけ即購入し、念願かなって読むことができた。

 

 

あらすじ①

「父には,弱いといえるところが一つもないんですの」完璧な父を敬愛する,内向的で平凡な容姿のキャサリン.彼女の前に現れた,美貌で言葉たくみな求婚者――19世紀半ばのニューヨークを舞台に,鋭く繊細な会話と描写が,人間心理の交錯と陰影を映し出す.『ある婦人の肖像』とならぶ,ジェイムズ(1843-1916)初期の佳作.

ワシントン・スクエア - 岩波書店

スローパー氏は、社会的に評価される医師であり、加えて人望も厚い人物で、街一番の美人で器量のいい令嬢キャサリンと結婚した。長男は夫妻に似て、美しく才能に恵まれた子供であったが幼くして亡くなってしまう。次いで生まれたのが主人公のキャサリン(母親と同名)である。産後の肥立ちが悪く、母キャサリンは亡くなってしまう。スローパー氏は男児を望んでいたが、スローパー氏の手元に残ったのは、夫人の忘れ形見である子女キャサリンとなった。しかしながら、この娘は特段賢くもなく、美人なわけでもなく、まさに中の中というような少女で、父親であるスローパー氏から見ても、両親の良い性質を全く受け継いでいなかった。健康ぐらいしか取り柄がなく、他人の目を通しても「ぼんやりした不器量な娘」あるいは「物静かな娘」であった。

そんな何の取柄もない娘が結婚適齢期を迎えた頃、ある男性との出会いをきっかけに物語は動き出す…。

家系図

小説を読むときは、必ず家系図を書くようにしているので、今回も物語序盤で判明している情報で簡単な家系図を作成してみた。もちろん、ネタバレ情報はないのでご安心を。アーモンド家には子供があと8人ぐらいいたりするのだが、本筋に関係のない人物数名は省略した。この物語は比較的少人数で展開するので、この後に登場する重要人物1名とその家族を加えれば、上記の家系図内で完結する。(灰色字の人物は物語開始時点で死去している人物)

序盤でおばさんについて述べたので、ぜひ家系図でチェックしてもらいたいのだが、母親がいないキャサリンにとっての結婚斡旋おばさんは、父親の妹にあたる「ぺニマン夫人」か「アーモンド夫人」の2択である。ぺニマン夫人は貧しい牧師である夫に先立たれ、子供がいないのに対して、アーモンド夫人は裕福な商人の男性と結婚し、9人の子供に恵まれた女性で、結婚を通して全く異なる暮らしを得た2人である。

あらすじ②

生まれてすぐ母親を亡くしたキャサリンだが、父親の手だけで育てられたわけではない。スローパー氏は、キャサリンに女性の援助が必要だと考え、未亡人となり貧しい暮らしをしていた妹のぺニマン夫人を一時的に屋敷に呼び寄せた。結局のところ、夫人はキャサリンの母親代わりとして、屋敷に住み続けている。このぺニマン夫人は、上流風や華やかさを好む女性だったが、秘密を持つことを好んだり、自身の想像の世界に感けて、いささか滑稽で薄っぺらい言動が目立つ。キャサリンは偉大な父親をひたすらに尊敬していたが、ぺニマン夫人に対しては、好意をもっていたものの、「一目で全体が見渡せる景気」程度の人物としか捉えていなかった。

ある時、従妹のマリアンが結婚することになり、結婚披露パーティーに招かれるキャサリン。そこで、アーサーの遠縁にあたるハンサムな男性モリス・タウンゼント氏に出会い、巧みな話術も相まって、絵の中から出てきたかのように美しく繊細な彼に夢中になる。好意を抱いているのはキャサリンだけではなく、モリスも同じようにキャサリンに好意を抱いているようで、早速スローパー家とモリスとの交流が始まるのだった。

キャサリンとぺニマン夫人から話を聞いたスローパー氏も、モリスに興味を持つ。スローパー氏の目を通したモリスに対する所感は「大変な口巧者で申し分ない外見をしているが、伊達男」といったもので、ビジネスの相手としては歓迎できるが、娘の結婚相手としては論外であった。その上、どうやらモリスは求職中の身で、貧しい生活を送っていることがわかり、キャサリンに接近したのは彼女の財産目当てではないのかとスローパー氏は疑い始める。(キャサリンには毎年母親の遺産が入り、死後には父親の財産も受け継ぐことになっているので、それなりの収入が見込めた。)

登場人物

オースティン・スローパー:医師。上流社会でも名の通った人望に熱い人物。

キャサリン・スローパー:スローパー医師の一人娘。シンプルに平凡な娘。

ラヴィニア・ぺニマン:スローパー医師の妹で、未亡人。母親を亡くしたキャサリンの母親代わりとして同居している。

エリザベス・アーモンド:スローパー医師のもう一人の妹。9人の子宝に恵まれた夫人。

マリアン・アーモンド:キャサリンの従妹。アーサーと結婚する。

アーサー・タウンゼント:マリアンの婚約者。名の知れたタウンゼント家の出。

モリス・タウンゼント:アーサーの遠縁にあたるハンサムな男性。どうやら職もお金もないらしいが…?

感想

出版社の概要にある”内向的で平凡な容姿のキャサリン.彼女の前に現れた,美貌で言葉たくみな求婚者”、この一文だけで、「これはやばい、その男、絶対裏がある!」と大抵の読者なら思うだろう。中の中の平凡な娘に誰もが美形と称する男性が、見え透いた好意を持って近づいてくる…。どう考えても一悶着ありそうな、ありがちなプロットをどう決着させるのか?それがこの本を読む中で、一番気になるところだ。結婚できるの?結婚できないの?もしかしたら成就しない恋を嘆いて死を選ぶ?

モリスが金当てだと決定づけ二人の結婚を妨げようとするスローパー氏、敬愛する父の反対を重く受け止め揺れるキャサリン、恋のキューピッドよろしくモリスとキャサリンの間でおせっかいを繰り広げるぺニマン夫人、スローパー氏の反対を受けながらも結婚を強行しようとするモリス。

淡々と中盤まで進む物語は、徐々に登場人物たちの心理描写へシフトしてゆく。父親には逆らえないキャサリンが、どうやって自分で決断を下すのかを、半ば実験でもするかのように見守るスローパー氏は、堅実で人望に厚い人物とは思えないほど、娘には辛辣に当たる。「こんな平凡な娘にハンサムな男が一目ぼれするわけないやろw」的な立場で、キャサリンはなかなか哀れなヒロインである。

一方、ぺニマン夫人はスローパー氏の意見に反対で、何があっても結婚を推し進めたい派。ちなみにもう一人の妹アーモンド夫人は、スローパ―氏と同じ結婚懐疑派である。

ぺニマン夫人は、キャサリンに内緒でモリスと密会し、結婚を上手く進めようと計画を練ったり、伝言を預かってみたり、秘密を享受できる立場に酔いしれてしまう。もちろんモリスも「このおばさん、めんどいなw」と内心呆れている。

冒頭で述べた本書のおばさんはまさにぺニマン夫人だ。当事者のモリスとキャサリン以上に一人できゃっきゃと喜んでいる様はコミカルだが、空気が読めてなさすぎて少々イタい。このおばさんがいなかったら、結末が変わっていたのではないかと思うほどに奮闘する姿は、この静かな心理戦を繰り広げる作品でひと際目立っている。別に、おせっかいおばさんを批判するつもりはないが、この類の結婚を取り扱う物語に登場するおばさんは妙にリアルである。海外の作品を読むとき、土地も文化も時代も違えば、感情の理解に半ば苦しむこともあるのだが、おばさんの言動だけは時代や国を超えても不動で、アットホーム感さえある。ということで、結婚斡旋おばさんが登場する文学は総じて好きになってしまう。

忘備録として、いろんな文献を探していた時に見つけた記事をシェア。

Can She Be Loved? On “Washington Square” | The New Yorker

この記事によると、ジェイムズが女優のファニー・ケンブルから聞いた話が、このストーリーのプロットになっているとのこと。 

Mrs. Kemble told me last evening the history of her brother H.’ s engagement to Miss T. H.K. was a young ensign in a marching regiment, very handsome (“beautiful”) said Mrs K., but very luxurious and selfish, and without a penny to his name. Miss T. was a dull, plain, common-place girl, only daughter of the Master of King’s Coll., Cambridge, who had a handsome private fortune (£ 4000 a year). She was very much in love with H.K., and was of that slow, sober, dutiful nature that an impression once made upon her, was made for ever. Her father disapproved strongly (and justly) of the engagement and informed her that if she married young K. he would not leave her a penny of his money. It was only in her money that H. was interested; he wanted a rich wife who would enable him to live at his ease and pursue his pleasures. Miss T. was in much tribulation and she asked Mrs K. what she would advise her to do— Henry K. having taken the ground that if she would hold on and marry him the old Doctor would after a while relent and they should get the money. (It was in this belief that he was holding on to her.) Mrs K. advised the young girl by no means to marry her brother. (“If your father does relent and you are well off, he will make you a kindly enough husband, so long as all goes well. But if he should not, and you were to be poor, your lot would be miserable. Then my brother would be a very uncomfortable companion— then he would visit upon you his disappointment and discontent.” )

 

最後に

あまりネタバレはしたくないので、結末には触れないが、思っていた結末とは違っていた。もちろん凡人の私が思い描くような結末を書いてたら作家として名を馳せていないだろうから、それは当たり前なのだが、なんとも静かな一文で幕を閉じた。

Catherine, meanwhile, in the parlour, picking up her morsel of fancywork, had seated herself with it again--for life, as it were.

二人の結婚をめぐっては主にキャサリン・モリス・スローパー氏の心理的なぶつかり合いで決着を迎えるのだが、結局のところがこの3者が"本当はどう思っていたのか・どうしたかったのか"は明確には描かれなかった。読者に対して委ねるようなじれったい決着が余韻を残してる。ハッピーエンドかバッドエンドで物語を判断するのは浅はかかもしれないが、この物語をどう捉えたらいいだろうか?

 

ジェイムズの作品は『デイジー・ミラー』『ロデリック・ハドソン』と読んできたが、間違いなく本作が一番お気に入りの作品となった。この2作に比べて、シンプルな筋書きで、無駄な描写がなく、淡々と話が進むのでかなり読みやすい。入手は困難だが、350ページほどの作品なので、ジェイムズの入門書としては最適かと思う。

 

余談であるが、この本を読みたいと思ったのはジャケ買い的な要素もあった。本書のあとがきでも触れられているが、フレデリックハッサムの「ワシントン・スクエアの5番街」という絵画である。『ワシントン・スクエア』の刊行が1880年であったことから、小説が書かれたのとほぼ同時代のワシントン・スクエアを描き出した絵画だろう。昼間の木漏れ日と日傘をさす女性、背後に映る活気のある街角がなんとも美しく好きな作品だ。

Frederick Childe Hassam, Fifth Avenue at Washington Square, New York, 1891