読んだ本をすぐ忘れないために書くブログ

本当にすぐ忘れます、なんでだろう

『無垢の時代』イーディス・ウォートン / "The Age of Innocence" by Edith Wharton (1920)

一八七〇年代初頭、ある一月の宵。純真で貞淑なメイとの婚約発表を間近に控えたニューランドは、社交界の人々が集う歌劇場で、幼なじみのエレンに再会する――。二人の女性の間で揺れ惑う青年の姿を通じて、伝統と変化の対立の只中にある〈オールド・ニューヨーク〉の社会を鮮やかに描き出す。ピューリッツァー賞受賞。

社交界と聞けばオースティンの作品だとか『ダウントン・アビー』、『ブリジャートン家』シリーズで見るような華やかで煌びやかな集まり…(若者にとっては重要な恋愛市場!)を思い浮かべてしまうが、ウォートンが描くのはシビアで閉鎖的なコミュニティとしての社交界。広い目で見れば近かれ遠かれ親戚の集いみたいなものである。でも、これがウォートンが忠実に描き出した「オールド・ニューヨーク」の在り様。

1回目に読んだときに、初っ端から大量に家名が登場して大混乱…あまりにもややこしくて、ちょっとスルーしながら読んだところ、節々で「誰だよ!」となってしまったので、2回目はまとめつつ読み進めた。謎解きレベルで各家系が複雑に絡み合っているので考察してみた。

・ミンゴット家はサウス・キャロライナのダラス家との(ソーレイ家を通じての)関係

フィラデルフィアのソーレイ家の嫡流オールバニーのチヴァーズ家との関係

・ユニヴァーシテイー・プレイスのマンソン・チーヴァー家

・ラッシュワース家は愚かしい縁組をする由々しき傾向がある

ロングアイランドのレファーツ家

オールバニーのチヴァース家には一世代おきに精神障碍者が出るのでニューヨークの達者たちは縁組を避ける

・ワシントン・スクエアのダゴネット家――これはイギリスの地方の古い名家の出

・ド・グラース伯爵と婚姻関係のラニング家

・ヴァン・デル・ライデン家――マンハッタンの初代オランダ総督の直系の子孫

英米問わず、作品を読むときに役立つ知識として、息子のファーストネームに母方のファミリーネーム(苗字)を名付ける場合があると言うこと。例えば、主人公ニューランド・アーチャーの場合、母親の旧姓はアデライン・ニューランドで、ファミリーネームであるニューランドを息子のファーストネームとして名付けている。基本的に良い家柄の場合が多いようだが、現代でもこのような名付け方をする人もいるらしい。

上述のように多くの家名が登場するが、この家名がファーストネームの登場人物も複数いるため、作品内では言及されていないものの、その人物の母親の出身・他の家系との繋がりがだいたい推測できる。

あらすじ

主人公のニューランド・アーチャーはメイ・ウェランドと婚約中で、メイはキャサリン・ミンゴットが家長として君臨するミンゴット一門の娘である。ニューランドの幼馴染であり、メイのいとこでもあるエレン・オレンスカはヨーロッパでの結婚生活がうまくいかずニューヨークに帰ってくる。エレンは両親の死後、おばのメドーラに引き取られ、長くヨーロッパで暮らしてきた。しかし、規律を重んじる厳格なニューヨークの社交界において、エレンは好奇の目に晒される。親族ですら体裁ばかりを気にし、エレンの存在を厄介に思う人も多い。そんな中、主人公ニューランドはメイを愛しながらも、エレンにも惹かれるようになってゆく。

ミンゴット一門から広がる家系

とにかく登場人物が多く、呼び方もファーストネームが登場したかと思えば○○夫人などと呼ばれたり様々で、読み始めは混乱するので、家系図にまとめることにした。

ミンゴット老夫人の子供たちの家系はだいたい描写があったが、問題はメドーラである。メドーラはエレンの「おば」と単に説明されているけど、結局のところ、メドーラとミンゴット家との繋がりはどうなんだ?ということでメドーラの出自を辿るための要素を探偵よろしく書き出してみることに。

①エレンのおば

②ミンゴット老夫人の娘

③最初の夫はマンソン侯爵

④メドーラの母はラッシュワース家出身

⑤エレンの旧姓はミンゴット

⑥メドーラに兄がいる

第一に「ミンゴット老夫人の娘」ということなので、ミンゴット老夫人の実の娘orミンゴット老夫人の義理の娘(息子の嫁)かと想定していたものの、メドーラ母がラッシュワース家出身とのことなので、ミンゴット老夫人(スパイサー家出身)の実の娘ではないことがわかる。

また、マンソン侯爵はミンゴット姓でないため、ミンゴット老夫人の息子でもなく、結局メドーラは義理の娘でもない。もうこの時点で娘じゃないやん!と思ったものの、いろいろ調べると、19世紀頃だと義理の親子や義理の義理の親子でも単に親子と呼ぶといった説明を見つけたので(真偽不明)、とりあえず、メドーラはミンゴット老夫人の娘息子の義理のきょうだいと仮定してみる。

エレン側からアプローチすると、エレンの旧姓がミンゴットなので、エレンの父方の祖母がミンゴット老夫人となる。ということで、メドーラはエレンの母方のおば。そうすると、メドーラはエレン母の姉妹エレン母の義理の姉妹(兄弟の嫁)という2説が残る。気になるのは、メドーラの母親が由々しき縁組をしがちなラッシュワースの出ということ。もしメドーラとエレン母が姉妹ならエレンもラッシュワースの血をひくことになるが、そのあたりの言及はなく、あまり評判の良くないラッシュワースとミンゴットが縁組する可能性はかなり低いので、エレン母はラッシュワースの血縁ではないだろう。ということで、メドーラをエレンの母親の義理の姉妹だと仮定した。(ここまで来ると、メドーラをミンゴット老夫人の娘と呼んでいいのか…?)

問題はメドーラの兄について。エレンが両親の喪に服している頃、メドーラは海外からアメリカに帰省し、実の兄(her own brother)の葬儀に参加したと言う記述がある。文脈的にエレンの父=メドーラの兄と読めてしまうのだが、上述のようにこれはあり得ない。もちろん義理の兄であれば辻褄が合うが、わざわざ実の兄と書かれているのでエレンの父とは別で、メドーラに兄がいると考えるのが無難だろうか?(ネットで調べたところウォートンの設定ミスでは?と書いている読者もいた)

1870年頃

ということで、上記がすべての情報を総括した家系図となった。(灰色字→故人、灰色掛け→性別不明、点線→仮定or詳細不明)

メドーラと同様、仮で記載しているのがボーフォートとミンゴットの繋がりだ。「レジーナはミンゴット老夫人の大姪」と言う情報しかないが、故マンソン・ミンゴットの兄弟姉妹からレジーナに繋がっていると仮定した。ミンゴット老夫人は、父のボブ・スパイサーが結婚後1年で失踪しており「16歳になるまで母娘2人で暮らした」と記述があるので、兄弟姉妹はいないと考えていいだろう。また、「ミンゴット家とサウス・キャロライナのダラス家との(ソーレイ家を通じての)関係」という表現がされていたので、ミンゴット家とダラス家の繋がりはこのあたりだろう。(マンソン・ミンゴットの兄弟姉妹がソーレイ家の人と結婚し、その子供がダラス家の人と結婚して生まれたのがレジーナ?)

 

※以下は詳細不明箇所※

①「ジュリア・ミンゴット」という名前が一度だけ登場したものの、特に言及もされなかったので詳細は不明だが、ミンゴット老夫人の子供のうち、外国に嫁いだ2人の娘のどちらかの可能性?

②ヴァン・デル・ライデン氏は「オレンスカ伯爵夫人は前から親戚のようなものだ―メドーラ・マンソンの最初の夫との縁でな…」と述べているが詳細不明。

③レジー・チヴァーズはミンゴット一門と記載があるが、詳細不明。おそらく「ユニヴァーシテイー・プレイスのマンソン・チーヴァーズ家」の家系?

④アーチャー夫人とルイザは「いとこ」で、アーチャー家とヴァン・デル・ライデン家は親族関係があると記載があるが詳しい繋がりが不明。スペースの都合上、ニューランドのいとこのヴァンディ・ニューランドは家系図にいれなかったが、母方のいとこである(おそらくニューランドの結婚式で介添人として登場したヴァン・デル・ライデン・ニューランドと同一人物と考えられる)。ヴァンディの母親がヴァン・デル・ライデン出身の可能性が高いので、この点ではアーチャー家とヴァン・デル・ライデン家が親戚なのは推測できる。また、ニューランドの話ではデュラック家におば達がいるとのことなので、これもヴァン・デル・ライデン家を通じた関係かと考えられる。

(仮定の部分も多く、読み落としや解釈ミスがあるかもしれません!何か発見があればコメントお待ちしてます!)

閉鎖的な「オールド・ニューヨーク」

女性は家事をし、男が外で働くのが当たり前だった時代に、女性の社会進出を目指す人が好奇の目で見られたように、どんな時代においても新しい考えや価値観を、他人に理解し、受け入れてもらうのはなかなか困難なことである。個人間ならまだしも社会に浸透させるときたら大したムーブメント!特に凝り固まったニューヨークの社交界においては新しい価値観などもっての外で、規律と伝統を守り続けることが第一で、それであってこそ威厳が保たれるのである。

エレンの希望は離婚をして、元のエレン・ミンゴットとして自立して暮らすことで、そのためにニューヨークに帰郷したが、親族は快く思わず、エレンが夫の元に帰ることを望んでいた。たとえ法律が離婚を許しても、社会の慣習が許さない、それがこのコミュニティの考え方だった。ミンゴット夫妻が”エレンを迎えて”晩餐会を開催することにしたのだが、多くの招待者が不自然に誘いを断る事案も起こり、ニューランドもエレンの問題に悩み始める。法律関係の仕事に就くニューランドはミンゴット家の頼みで、エレンにヨーロッパへ帰るよう促す役目を引き受ける。あまり乗り気ではなかったのだが、ニューランドはメイと結婚することでエレンの親族になるため、「外聞の悪い離婚訴訟を抱えている一族と結婚したいのか?」と迫られ半ば強制的に。

一方のエレンは、ヨーロッパでの暮らしが長く、アメリカ的な、特にニューヨークの考え方や常識から外れた行動がみられる。まだ自分の置かれている立場や周囲の反応に気づけておらず、ニューヨークには存在しない「自由」を求めている。

「上流?そんなことを、皆さんは大事に思われるのですか?自分なりの流儀を創り出そうとなさればいいのに。でも、これまでわたくしは、あまりに自由に生きてきたのでしょう。」(p.113)

そんなエレンに苛立ちを覚えるものの、ニューランドは19世紀頃の男性としては珍しく、女性も男性同様に自由であるべきだという思想を持っていたため、他者が干渉すべき問題ではないのだと感じている。郷に入っては郷に従えというけれど、エレンに対する風当たりは強い。エレンと親族の板挟みになったニューランドはヨーロッパ的な言動について「よその町ではやっていることです。それでも世界は続いていくんです。」と説明するが、母アーチャー夫人は「ニューヨークはパリでもロンドンでもありません。」と一蹴。まさに「よそはよそ!うちはうち!」、ニューヨークは寛大さなど期待できない場所なのである。

対照的な二人の女性と花

ニューランドは婚約中のメイに毎日スズランの箱を送ると言うなかなかマメな人間なのだが、ある日スズランを探しに花屋へ行った際、美しい黄色いバラを見つける。

名刺に一言書き添え、封筒を待つ間、緑でいっぱいの店内を見まわしていたニューランドの目は、黄色のバラの一角で止まった。太陽のようなこんな金色は見たことがない、と思い、このバラをスズランの代わりに、メイに贈ろうかと最初、衝動的に思ったほどだった。けれども、その燃え立つような美しさには、どこかあまりに豊潤で強すぎるところがあって、メイにはそぐわなかった。ニューランドは突然気が変わり、何をしているのか自分でもほとんどわからないままに、別の箱にバラを入れるよう花屋に指示していた。そして二つ目の封筒に名刺を入れると、封筒の表にオレンスカ夫人の名前を書いたが、向きを変えた瞬間にまた名詞を取り出し、空の封筒だけを箱の上に置いた。(p.123)

メイは純粋と言う点だけは誰にも負けないほどで、花はスズランしか身に着けない、というほど純粋を体現化したような女性。スズランの花言葉は「純粋、純潔・謙虚」。ただしスズランには毒もあるので取り扱いには要注意と言ったところ。一方で、バラの花自体には「愛・美」といった一般的な花言葉があるが、黄色いバラには「嫉妬・不貞」といった意味も含む。まさに黄色いバラをプレゼントしたことを皮切りにニューランドを待ち受けている運命を示唆しているようでもある。

また、ニューランドがエレンにバラを贈った際、他の男性陣もエレンに花を送っているし(ボーフォートはラン、ヴァン・デル・ライデンはカーネーション)。また、ニューランドがエレン宅を尋ねた際、部屋にスミレを添えた真っ赤なバラ花の花束が届けられている。誰かがエレンに惜しげもなく愛情を示していることをニューランドは察しているはずだ。このように、全体を通じて花が引用されている箇所が多いので各場面で花が持つ意味合いを考えて他見るのも面白いかもしれない。

 

※以下、結末に関わるネタバレを含みます。

変化するニューヨーク・ソサエティ

1900年頃

30年が経過し、次はメイとニューランドの子供たちが結婚する頃になっていた。長男ダラスと結婚したファニー・ボーフォートの父は、30年前に破産し、社交界で煙たがられていたあのボーフォートで、母はその愛人だった女である。ファニーは両親と共に海外で暮らし、両親の死後、アメリカへ帰郷した。彼女の境遇はまさに30年前のエレンと同様であった。しかし、社会は変わり、社交界も親族も彼女を当たり前のように受け入れたのである。

世界がどれほど大きく変化したか、これ以上はっきりと示す事実はないだろう。この頃の人間は忙しすぎる――改革、「運動」、さらには一時的流行や執着やくだらぬことにかまけて、隣人など気にしない。それに、他人の過去にどんな意味があるだろう――すべての社会的原子が同じ平面上でくるくる回っている、巨大な万華鏡のような世界で。(p.537)

ファニーがパリ滞在時、エレンに世話になったこともあり、ダラスもエレンの存在を認知していた。「父さんにとってファニーみたいな人だったんでしょう?」と。

3つのエンディング

本書の解説で触れられていたようにウォートンは3種類のエンディングを用意していたようだ。一部しか触れられていなかったので調べてみた。

①ニューランドはメイと結婚するが、その後エレンと共にフロリダへ駆け落ちしてしまう。しかし、社交界の外での暮らしに慣れず、エレンとの関係も悪くなり、そのままニューヨークへ戻る。

②メイはニューランドとの婚約を解消し、他の人と結婚する。ニューランドはエレンと結婚するが、社交界の中にいたいニューランドに対し、エレンは社交界での暮らしに耐えず、離婚。エレンはヨーロッパに戻り、ニューランドはその後を母姉と暮らす。

③メイの妊娠が発覚し、エレンはヨーロッパに帰ってしまった。それから30年が経過し、メイはすでにこの世を去っていた。ニューランドは息子ダラスとともに旅に出て、パリを訪れる。義理の娘となるファニーがパリ滞在時にエレンに世話になった縁もあり、ファニーの根回しで30年の時を経てエレンと再会する機会を得るが、再会する直前、ニューランドはその場を去る。

ウォートンはただ男女の愛憎劇を主軸としたわけではなく、あくまでもオールド・ニューヨークの姿をありありと描くために、男女を登場させていたに過ぎない。ifストーリーとなったこの2つのエンディングではいずれもニューランドとエレンが一度は結ばれる結果となっているのに対して、採用されたエンディングではエレンと再会するチャンスが訪れたものの、それを掴むことなくニューランドは自らその場を去ってゆく。

エンディングを読んだ第一印象として、ヘンリー・ジェイムズの『ワシントン・スクエア』を彷彿とするものがあった。どちらも当時の社会風俗を写実的に描いたもので、舞台設定はもちろんのこと、一度は結ばれることを断念した男女2人が再会する機会を得たものの、結局お互いがそのままの人生を歩むことを選択する、といった静かで余韻の残る締め方だ。ヘンリー・ジェイムズとイーディス・ウォートンは親交があり、またウォートンはジェイムズの後継作家として位置付けられることもある。

https://doshisha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=21225&item_no=1&attribute_id=28&file_no=1

上記論文を読んでいたところ、ジェイムズのアドバイスで、ウォートンは自分のよく知っている身近な世界を描き始めたようだ。ジェイムズとウォートンの違いを単に女性的・男性的な雰囲気の違いと言うのは安直すぎるが、個人的な私の感覚ではウォートンのほうが女性らしい目線で、そのリアリズム、細やかな心理描写はイギリスでいうところのオースティンのよう。(ジェイムズは時に難解で個人的には読了に苦労する部類…)

m-dorsia.hatenablog.com

純粋な女の仮面

ニューランド、メイ、エレンの人間模様は簡単に言ってしまえば不倫の話になってしまうのだが、ゲスい話に見せないのがウォートン女史の手腕であろうか、ニューランドとエレンが惹かれ合うのもまあ自然な流れだと読めてしまう。あたかも自然の摂理のように精神的に結びついてしまっただけで、エレンも自分の立場をわきまえているし、メイとニューランドの仲を引き裂こうなんて考えていないので、結ばれない2人となんだと分かった上での冷静な態度。

一方、大らかな性格のメイは、エレンがいとこということもあり、ニューランドがエレンに対して優しくすること、気にかけていることを「なんて親切なの!」ととても好意的に見ていた。まさにスズランが示すように純粋なんだねメイは…可哀そうに…と思っていたものの、ニューランドがエレンに惹かれていることに気づき始めると、徐々に冷ややかになって、ふとした言動からニューランドをチクチク刺している。結局エレンがヨーロッパへ戻ることを決めることになったのもメイの一言だった。なんてコワイ子!と思ったものの、30年後にダラスが語る話では、メイは死の直前にダラスに対して「昔、お母さんが頼んだら、お父さんは一番欲しいもの(=エレン)を諦めてくれた」と。

この三角関係の在り様を見て思い出したのが、ウォートンの短編『ローマ熱』である。二人の中年女性ミセス・アンズレイとミセス・スレイドの会話から繰り広げられている。ふとした流れで、ミセス・スレイドは若い娘時代にミセス・アンズレイに対して行った悪戯を告白する。ミセス・アンズレイがミセス・スレイドの婚約者に恋愛感情を抱いていたため、ミセス・スレイドはその男性を完全に自分のものにするためにしてしまった愚かな行動だった。これをきっかけにミセス・アンズレイもミセス・スレイドにとある事実を打ち明けるのだが、その事実はミセス・スレイドの悪戯を遥かに凌駕する強烈なダブルパンチで…というお話。この男女3人の構造は『無垢の時代』に通じるものがある。メイがニューランドを自分のものにするため、エレンをヨーロッパに帰すきっかけをつくったメイは「純粋」の仮面の下から女の欲を覗かせていた。これがスズランの毒だろうか?